大学を卒業して半年くらいで、ベルギーはブリュッセルに留学しました。その理由はピアノの勉強をさらに深めたかったからです。国を選んだと言うより「この先生につきたい!」という思いでした。外国への憧れというのは、あまりなかったし、ベルギーが好きで、どうしても、この国だ!というのでもありませんでした。(もっと潜在的には深い理由があったんですけどね)
そしてすでに30年、もうそれは、いろいろな場面でカルチャーショックを経験しました。
ここでは、経済的な情勢については書きません。なぜなら、経済的には日本ほど豊かではないからです。失業者、ホームレスや生活保護者は日本に比べてとても多いのです。
ではなぜ、ゆとりがあるように見えるのでしょう。
それは、他人や社会から与えられた価値観ではなく、自分の価値観で選択して生活しているからです。
自分の意見を持っていない人はいない
来てすぐは、フランス語が全くわかりませんでした。大学時代は第二外国語はドイツ語でしたから、ベルギー行きが決まって4ヵ月、御茶ノ水のアテネフランセで集中講義とかとってみましたけど、1から10まで数えるのと、ça va と言うすごく便利な言葉だけしか頭に残らないまま、ベルギーへと飛び立ったのでした。
音楽院でのほとんどの授業は、私が日本の大学を出ていたおかげで免除。ピアノの実技と室内楽の授業がメインでした。なので、言語の問題は、いきなりフランス語オンリーで講義を80分聞かなければならないわけではなかったので、本当に救われました。
ピアノのレッスンはマンツーマンの個人レッスンですが、日本の大学と違って、前の人のピアノレッスンを聞くことができました。今の日本の音楽大学のレッスンはわかりませんが、私の時代は他の生徒さんのレッスンを聞くことは全くなかったです。
人の演奏を聞くことはとても重要なことで、いろいろなことを勉強できます。
その時、何よりもびっくりしたのは、ベルギーや他の国籍の生徒さんたちが、先生と尊厳を持って対等に話をしているということでした。もちろん目上の方への礼儀もあるし、素晴らしいピアニストの先輩としての敬意もありつつ、イエス、ノーをはっきり言えて、自分はこうしたい、と言う意思をはっきり伝えていたのです。
ヨーロッパの個人主義の歴史
ここで、ヨーロッパについてよく言われる個人主義について、その発祥は?とググってみました。
歴史 「個人主義」は、多義的な言葉であって、個々の言説が意味するところは一様ではないが、人間の尊厳と自己決定という2つの価値概念と、個人は理性的存在または個性的存在であるという認知的概念を共有する。 individualismeというフランス語が発祥である。
個人主義はよく、エゴイズムとか利己主義と間違えられます。私利、私益だけの幸福を追い求めて、他人の幸福を全く顧みない個人主義のことをそう呼ぶのです。ヨーロッパは障害を持っている方に対して優しいです。健在者と変わりない態度で、また同じアクティヴィティーをオーガナイズしています。ブリュッセルの20kmマラソンで、車椅子を何人かの人が押しながら、完走した姿はとても印象的でした。
ミスは誰だってするもの
王立音楽院での試験は年に2回。1月の学期末試験とと6月の学年末試験です。自分が採点される側だった時、弾いていてその雰囲気の違いにびっくりしました。審査員は、演奏中、隣と話していたりもして、それはそれで気にはなったですが、会場に入ると挨拶を交わし、審査員たちは笑みを持って、迎え入れてくれたのです。まるで「あなたの演奏を楽しみにしています」とでも言いたげでした。
日本の大学時代は、その凍りつくような会場に緊張を強いられ、弾いている間、ミスタッチをすると、審査員の紙がザワザワ動くというシーンに恐怖に近い感覚がありました。
カフェで注文を間違えるウェーター、市場でおつりを間違えるおじさん、遅れる電車にバス、お店のフェイクな情報、などなど日常生活ではキリがありません。
ですが、私自身も、腹を立てイライラしていた最初の1年が過ぎ、ふと考えてみれば、私もたくさんの間違いをしながら海外生活を体験しているのです。自分もするんだから、みんなだってそうだよね、という考えでミスに対して寛容に対処できるんだと思いました。そして、さらには、一緒に計算してくれたり、ウェーターに優しく注文を取り直してくれたり、間違ってもいいんだ、という安心感が生まれました。
もちろん、これは人命や人の人生に関わるミスではないお話です。
ゆとりは自分で作るもの
ヨーロッパは自己責任の意識が強いところです。
それは、前記したように、人間の尊厳と自己決定という価値観が影響しています。自分の意思や考えで決めることに、誰も他人が責任を負わないということです。
冷たい人間だと感じますか?
違う言い方をすれば、他人のことをあなたは決めることはないということです。
ゆとりがあるのは自分軸で、個性を重じて生活しているからです。
それは自己責任という観点から見ると、厳しいことです。あなたが主張や決めたことについて、反対意見を言う人がいたとしても、最終的には、「君のやりたいようにしていいよ」と言われますが、結果については一切が、決めた本人の責任になるのです。
ゆとりはそう言った自分自身で作り上げていくちょっと厳しいものなのです。
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